無罪の推定と報道

2014-11-21

 連日京都の連続不審死の刑事事件について報道合戦が行われています。一つ一つの報道を見れば,逮捕された容疑者が犯人であると断定するような報道はありません。しかし,極めて疑わしい方向での報道とそれが大量に繰り返し報道されることによって,多くの視聴者は何か悪いことをしたんだろう,どうせ犯人だろうと感じてしまうでしょう。

 このような報道のあり方は無実,無罪を主張する人にとって大きな障害となります。一つは,市民だけでなく裁判官も検察官も警察官もみなが,一つの先入観をもって事件を見てしまい,無実かどうかの吟味を忘れてしまうことにあります。
 もう一つは仮に不起訴となったり,起訴されて刑事裁判になって無罪となっても,報道によって与えられた世間に対するイメージ,本人が被った不利益は取り返しがつきません。
 特にインターネットに名前がひとたびでてしまえば,半永久的にその人の誤った情報が掲載され続けることになります。
 痴漢冤罪などでも,何年も掛けて無実を晴らしたが職を失ったという体験をされている方がいます。
 当事務所で刑事事件のご相談の中でも,報道されるだろうか,一度なされた報道をなんとかできないだろうか,という相談を多く受けます。
 
 本来罪を疑われた人には,無罪の推定が働きます。この無罪の推定とは,刑事裁判で,明らかな証拠によって,犯人であることが間違いないと証明されるまでは,その人は無実であるという推定をしなければならないということです。
 疑わしいというだけで犯人視したり,不利益を与えてしまっては取り返しがつかないので,犯人と証明されるまでは一般市民と変わらない無実潔白であると考えておこう,という理性的な仕組みなのです。これは長い歴史の中で生み出された人類の叡智といってもよいでしょう。

 残念ながら,我が国にはこの無罪の推定という考えが浸透しているわけではありません。裁判員裁判が始まり法教育の必要性が説かれ,少しずつでもこの考え方が浸透してくれればと思います。

 マスコミには,国民の知る権利に奉仕する役割がありますから,事件が起きたときにそれを報道する使命があるでしょう。しかし,その報道は常に一人の人生を犠牲にするリスクを負っているのです。もしその人がその後,不起訴になった,無罪になった,ということであれば,捜査の問題を明らかにし,報道のあり方について常に見つめ直す姿勢が求められていると思います。

 私たちの事務所では,マスコミの報道を賑わすような重大な事件であっても依頼人を守るために徹底した弁護活動を行っています。いかなる立場の人でもいかなる容疑を受けている人でも,最高の弁護を提供します。

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