覚せい剤密輸の故意と経験則

 犯罪が成立するためには「故意」が必要です。簡単に言えば,それとわかってやった,という意味です。
 覚せい剤を密輸する罪では,よくこの「故意」が争われます。たとえば,白い粉を海外から持ち込んで,それが「覚せい剤ではなかった,砂糖だった」と主張する場合です。故意がないと犯罪が成立しないため,裁判では,覚せい剤だとわかって密輸したかどうかが,裁判で争われることになります。
 覚せい剤とわかってやった,といっても,はっきりと覚せい剤とわかっていなくても故意はあるとされています。覚醒剤を含む違法な薬物かもしれない,という認識があれば,故意があると解釈されています。逆にいえば,覚醒剤を含む違法な薬物ではないという認識であったなら,罪は成立しません。
 これが争点になるとき,人の内心を証明するのは難しいですから,いろいろな間接的な事実から判断することになります。ここで,認定を補うのが,常識論です。「経験則」ともいいます。たとえば,「高額の報酬を得て運搬を依頼されたのだから砂糖だとは通常考え難い」といったものです。こうした常識論は,正しい場合もあります。しかし,近時,言い過ぎなのではないかと思われる常識論の使い方が見られます。たとえば「高額の報酬を得て運ぶもので真っ先に思い浮かぶのは違法薬物だ」というような論理や,「白い粉を見て真っ先に思い浮かぶのは違法薬物だ」といった論理です。高額の報酬を得て運ぶものでも,拳銃や金,ダイヤモンドなどの高価なものは想定できますし,動物の毛皮など,輸入することが違法なものもたくさんあります。白い粉だって,それ自体としてはいろいろなものが思い浮かぶのであって,真っ先に違法薬物を思い浮かべるというのは言い過ぎではないかと思います。
 常識論は,あくまで証拠の解釈を補完するものです。常識論だけで有罪になってしまったら,冤罪はなくなりません。

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